音楽のまち〝楽都〟の礎となった教育者 文化薫る城下町から
世界に誇る音楽文化を発信 北アルプス連峰や美ヶ原高原など豊かな自然に恵まれ、国宝・松本城の城下町としても発展してきた松本市。年間を通じてさまざまな文化活動が行われているが、なかでも最大規模を誇るイベントのひとつが、8月から9月にかけて行われる「セイジ・オザワ松本フェスティバル(1992年~2014年は『サイトウ・キネン・フェスティバル松本』)」。指揮者の小澤征爾氏が総監督を務める世界的なクラシック音楽祭だ。 「日本から本場西欧に向かって西洋音楽を発信する」という音楽祭が松本の地を選んだのは、音楽のまちとして多くの音楽家を輩出してきた土壌があったからである。その背景となったのは、松本市名誉市民で教育者の鈴木鎮一が創始したスズキ・メソードだった。ヴァイオリン制作者を父に持つ鈴木氏は、10代の頃からヴァイオリンを習い、若き日にベルリン留学を経験。1946(昭和21)年、松本市に「松本音楽院」を設立したことが松本の音楽文化を育む一助となった。1992年から始まった音楽祭はすぐに定着。自治体やスポンサーの協力はもちろん、毎年数多くの市民がボランティアとして参加し、2カ月にわたる公演を支えている。 ［松本のレジェンド_鈴木鎮一］ ヴァイオリニストとして国内外で研鑽を積み、洋行後は東京で帝国音楽学校の教授を務めた。やがて第2次世界大戦の戦渦に遭い、長野県木曽福島に移住。後に松本市に移り、現地で子どもたちにヴァイオリンを教えながら、幼児期の才能開発を目指した独自の音楽教育理論「スズキ・メソード」を確立。それは「能力の素質とは、刺激と繰り返される訓練によって育つ"才能の種子"である」というもので、現在も国内外で高い評価を受けている。 鈴木鎮一記念館 幼児期における、音楽による才能開発方法「スズキ・メソード」の創始者として、国内外の音楽教育理論に多大な影響を与えた音楽家、鈴木鎮一の功績を記念し、1996年に松本市内に開館。往時の住居を改修し、その生涯と音楽教育理論を紹介している。 松本の誇りを守ったふたりの市民 繁栄を遂げた
文化のまちの原点 音楽が戦後の松本の文化の象徴だとすれば、江戸~近代の象徴は松本城であろう。かつて松本は信濃の国の中心部として、平安時代には信濃国府(現在の県庁にあたる、その国の政治の中心地)が置かれ、江戸時代には松本藩の城下町として繁栄した。わずか6万石ながら、当時の人口は信州最大で1万5000人。10万石の松代と現在の県都である長野がそれぞれ1万人、そして100万石の加賀が5万人であったことを考えれば、松本がいかに栄えていたかがわかる。松本が石高以上に発展した理由には、内陸交通の要であったことが考えられる。塩尻市の中山道洗馬宿から分岐し、松本を通って長野に通じる北国西街道(善光寺街道)をはじめ、飛騨に達する野麦街道、越後に通じる糸魚川街道、伊那谷を通って岡崎に通じる伊那街道(三州街道)など、いくつもの街道が交わる交通の要衝であった松本の城下町では、物や人の交流が盛んに行われ、交流によって文 化が育まれた。

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  享保11（1726）年に作成した松本城下町の基本図
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  明治30年代初頭の松本城

まちのシンボル
松本城を守り伝える 国宝のひとつとして、国内外から多くの観光客が訪れる松本城。明治初年の廃藩置県で松本藩がなくなると、城は旧体制の象徴であるとして、新政府から取り壊しを命じられ、1872(明治5)年には、唯一残った天守も競売にかけられた。そんななか、「城がなくなれば松本は骨抜きになる」と、資金を募って城を買い戻したのが、地元に住む弱冠28歳の市川量造だった。その方法とは、新聞で市民に呼びかけ、天守内で骨董品などの博覧会を開くといった地道な活動だった。こうして破壊を免れた松本城だったが、明治の後期にふたたび危機が訪れる。長年風雪にさらされてきた影響で傷みが激しくなり、天守が傾き、崩れ落ちる危険が出てきたのだ。当時、二の丸跡にあった旧制松本中学校の校舎から毎日見ては憂いていたのが、校長の小林有也だった。有也は松本城天守閣保存会を発足させ、全国に呼びかけて資金を集め「明治の大修理」を敢行。今に残る美しい姿が保たれた。その後、昭和に入ってからも大規模な解体復元修理(「昭和の大修理」)が行われ、国宝としての価値を高めた松本城。現在では市民ボランティアによる床磨きが行われるなど、自分たちで〝松本城を守る〟という気概が脈々と受け継がれている。 ［ 松本のレジェンド_小林有也］ 伯太藩(現在の大阪府和泉市伯太町)生まれ。明治初期の進取の気風を受け、自由で合理的な思考を体得した。農商務省に勤務する傍ら、東京物理学講習所(現・東京理科大学)の設立発起人となるなど、日本の発展に寄与。1886（明治19）年からは松本市の長野県尋常中学校(のちの松本中学校、現在の長野県松本深志高等学校)校長として、"権限と責任を両立した自治の精神"を重視し生徒の育成にあたる。天守閣保存会を結成し、崩壊寸前だった松本城の修理に努めた。 ［ 松本のレジェンド_市川量造］ 江戸末期、松本の名主の家に生まれる。19歳の時、商いで横浜の外国商館を訪れ、その後水戸に学ぶ。この時の外国文化と水戸学の影響が、下問会議の設置や『信飛新聞』の発刊、自由民権運動結社の設立など、後に地元で展開される市民啓蒙活動へとつながっていった。競売に賭けられ、一旦は売却された松本城を買い戻し、天守閣を解体から救う。行政と市民の垣根を取り払い、広く知識と議論を取り入れ、地元松本の文化の発展・保護に寄与した。